怒涛の10日間。
うちの母の育ての親(調月のおばちゃん)が先日95歳で旅立ちました。
最後の8年程は、岩出のやよい苑さまにお世話になり、そこで息を引き取りました。
まずは、やよい苑のスタッフさま、いろいろとありがとうございました。
2月に入りすぐ、少しあぶないかもと連絡が来ていました。母が見に行った日の次の日は、とても寒い日でした。ちょうど私の車が故障しバイクしかなかったのですが、今行っておいた方がいいかな~。。。と、こころがざわざわし、こたつから出て、バイクを走らせました。
ベッドサイドには、子供や孫、ひ孫が何人か来ていました。しばらく様子を見て、みんなが出て私だけでになったとき、そっとかばんからヒーリング楽器を出しました。
この楽器を持って行ったのは、前日に母から痛い痛いと言っていたと聴いていたからだ。
ずっと目を閉じて、肩で息をしていたおばちゃんの耳元でしばらく奏でていると、(おばちゃんは耳が遠く、普段から大きな声で言わないとわからない状況で、この日は、聞こえる方の耳は、枕についていた。)
たぶん、聞こえていないだろうな~。。。と思いつつ。。。しばらくすると、
パッチリ目を開けて、ハッキリとした声で「痛いんよ~」と言った。
聞こえているのかも。。。と感じた。
布団をめくるとパンパンに浮いたふくらはぎが、反対の踵で、押さえつけてて、くっきりとかたがついていました。これが痛いんかな~?と言いつつ、足の位置をかえ、間に小さいクッションを挟み、布団をかけてまた、しばらく奏でていました。
すると、そっと目を閉じ、その後は何も言いませんでした。
その次の日の朝、旅立ったのですが。。。最後に逢えて、ヒーリング出来、かつ、痛みを取り除くことが出来たことが、唯一セラピストとして、死に逝くおばちゃんに少しはお役に立てたのかな。。。と。数日経って思えるようになりました。
亡くなる最後まで、耳だけは聞こえるとよく言いますね。
あんな小さい高い音のヒーリング楽器なのに、元気な時だときっとあの音はおばちゃんには聞こえなかったんじゃないかな~?どうやろか。。。(元気な時に、音楽療法出来なかったことだけは残念だったが。。。)
あの状況で、メルヘンクーゲルの音、よく聴こえていたんだな~。。。と、思います。
『きっと、これは、おばちゃんから私に、死ぬ間際に身をもって教えてくれたことだ!』
と思いました。
本当に元気な時からおばちゃんは、人に与える人でした。
亡くなる直前まで。。。お通夜、告別式でも、死んだ姿で私や孫やひ孫に、知らないことを教えてくれ、与え続けている姿を見て、いのちと真摯に向き合って音楽療法のお仕事をしている私は、再度自分のいのちを(時間を)何に使うか。。。と言うことを再認識させられました。
私はこの15年、自分のいのちの使い方を意識し、生きてきたつもりではあるが。。。
ありがとう。おばちゃん。
おばちゃんが元気なときに出来なかった音楽療法、これからも変わらず、ブレずに、必要として下さる高齢者さまの為にも、こころ穏やかな、楽しいひとときを過ごせるお手伝いをさせていただこうと思いました。
そして、死に逝く人にも、音楽療法が、その方の『最後の何か』にお役に立てるのかな~と、セラピストとして体感させてもらった出来事でした。